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  • 2012-01-26

    alecshao:

    Choi Xoo Ang, The Wing, 2009 (oil on resin)

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    出典: alecshao

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    フランスの詩人アンドレ・ブルトンがニューヨークに住んでいたとき、いつも通る街角に黒メガネの物乞いがいて、首に下げた札には

      私は目が見えません

    と書いてありました。彼の前には施し用のアルミのお椀が置いてあるのですが、通行人はみんな素通り、お椀にコインはいつもほとんど入っていません。ある日、ブルトンはその下げ札の言葉を変えてみたらどうか、と話しかけました。物乞いは「旦那のご随意に」。ブルトンは新しい言葉を書きました。
     それからというもの、お椀にコインの雨が降りそそぎ、通行人たちは同情の言葉をかけていくようになりました。物乞いにもコインの音や優しい声が聞こえます。数日後、物乞いは「旦那、なんと書いてくださったのですか」。
     下げ札にはこう書いてあったそうです。

      春はまもなくやってきます。
      でも、私はそれを見ることができません。

     誰が見てもうらぶれた物乞いです。黒メガネをかけているのだから盲人であることも分かります。「私は目が見えません」は言葉の意味をなしていないのです。
     アンドレ・ブルトンの言葉のほうには、訴えるものがあり、憐れみを乞う力があり、人に行動を促す力、もっとえげつなく言えば集金能力がありました。目的はそれだったのです。読んでもらって、施しの気持ちを起こさせ、施しをいただくこと。
     目的を果たしてこそ、言葉です。

    — 活字中毒R。 (via takaakik) (via jinon) (via msnr) (via h2a) (via ocman) (via petapeta, ninonbooks) (via petapeta) (via hkdmz) (via mug-g) (via tiga) (via asanuma)

    出典: ninonbooks